Simple Colors

毎日をシンプルに生きる

人生旅行

f:id:BlueRingo:20211126234300j:image

最愛のペットとお別れをして、1年と5ヶ月が経った。

先日、あの子の誕生日だった。

あまりにあっけないお別れだったので、未だに名前を呼んでしまう時がある。

その度に、悲しいとか辛いなどの感情はないけれど、

出会えたこと、過ごせたことが本当に奇跡だったと感謝し、

そして、一緒に過ごした時間が懐かしくて幸せな気持ちになる。

 

そんな中ふと、昔の同僚のことを思い出した。

 

彼女は同じ部署で働く同い年の子。

情報通だった彼女は、後から入社した私に会社のいろいろな噂話を聞かせてくれた。

将来設計もしっかりしていて、お金に疎い私に

投資は若いうちからするべきだと

熱心に説明してくれた。

あの時、彼女のいうことを聞いて投資を始めていれば、今頃それなりの額になっていた気はする。

 

その後私は仕事を変え、彼女と連絡を取ることはなかったけれど、

風の便りで、再婚したこと、病気をしたことなどを知った。

一緒に働いていた20代の頃から、

「自分は癌家系だから必ず自分もなるので定期検診は欠かせない」と言っていた。

そのおかげか、30代で乳がんがみつかったけれど治療をして治ったようだった。

今は再婚してとても幸せみたいだよと聞いて一安心していたけれど、

どうやら数年前に亡くなったようだ。

病気なのか、事故なのか、理由は不明。

 

彼女のように将来を見越して、積極的に貯蓄をしたり、

健康管理をしっかりしていても、

結局運命には逆らえなかったのか。

 

「将来のため」

という見えない明日への保険という架空商品を無理やり作り出し、

人はその見えない何かに常に怯えて生きるように洗脳されている。

洗脳元はメディアだったり教育だったり、はたまた政府や誰も知らない世の中を牛耳っている何かによって。

 

アフリカのどこかの部族などは、

明日への不安を抱えながら暮らしているのだろうか?

それよりは今を生きることに必死なのではないだろうか?

愛犬だってそうだ。

未来に不安を持って生きていただろうか?

それより、今この瞬間置いてけぼりになることを嫌がり、

今この瞬間ごはんをもらえたり、飼い主になでられることに喜びを感じたり、

彼の中には過去も未来も存在しなく、

その瞬間をただただ生きていた。

 

自分ではどうすることもできない過去や未来にしばられる人生と

今を十分に生きる人生

 

どちらも人それぞれではあるけれど、

私は

今を必死で生きる人生を

選択したい派だ。

 

いつか必ず人は死ぬ。

それはこの世に生まれた時からすべての人に平等に与えられた運命だ。

病気をして延命治療を受け、長生きする人もいるでしょう。

でもそれすらも生まれた時に決められた人生だとしたら。

亡くなった彼女も、若い頃から自分の運命に従って、終わりのための計画をしていたようにも思える。

 

私は誰に教わったわけでもなく、子供の頃からずっと自称「運命論者」だった。

運命は決められているのでそれに逆らうことは絶対に出来ない

だから自分が信じること、感じたままに生きていけばいい。

周りの不確かな情報に惑わされず、自分の内から湧き出るものを信じていけばいいという考えだ。

 

命を授かった瞬間から人は死ぬ時までの人生旅行を開始する。

人生旅行の最後は人それぞれだけれど、運命で決められているとするならば、

その運命を全うしたと満足しながら眠りにつきたいと思う。