Simple Colors

毎日をシンプルに生きる

脱・怠け者宣言

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怠け者なんだよね、私。

 

いろいろ課すと結局続かなそうなので

これだけは最低やろうよリスト

 

1、トイレットペーパーの芯はなくなる前に替える

めんどくさくて替えない時がたまにあった。

これはいくらなんでも人生終わっちゃうレベルなので

紙がもったいなくてももうすぐ無くなる前に絶対に替えることにした

 

2、ベッドメイキング

めんどくさくてブランケットをめくれたままにしていることがあったけど、これも恥ずかしい習慣なので絶対に朝起きたらすぐベッドメイキングすることにした

 

3、歯の入念なケア

歯ブラシしすぎは逆によくないみたいなので?デンタルフロスやウォーターピックで隅々まで丁寧にケアする

この歳になると肌よりも歯のケアの方が重要

 

 

愛する人とのお別れの時

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学生時代の親友が、6年ほど前から大病と戦っている。

なぜ、病気と「戦う」という表現をするのか?

そこに勝ち負けがあるのはどうなのか?

と、何かの本で読んだことがあるけれど、彼女は確実に戦っている。

 

見つかった時は、いわゆる末期状態だったが、
手術は成功したのかここまでなんとか頑張ってこれた。
全身に転移していても、これ以上の治療は望めないかもしれないと言われても、
彼女は希望を失わない。
1%でも可能性があるなら、その方法を試したいと切に願っている。

なんて、強い人なんだろうと、ただただ尊敬の念しかない。

これまで、
抗がん剤の治療はどれだけ苦しかったことか。
どれだけの痛みと戦ってきたことか。
想像すればするほど、「壮絶」という言葉は決して誇張したものではないと確信する。

 

自分が同じ状況だったら、絶対に途中で諦める。
いや、病気が見つかった時点で、生きる希望も先に進む勇気もなくなるだろう。

 

学生時代を思い起こすと、
シャイであまり人付き合いが得意ではない私を
彼女はいろいろなところへ連れ出してくれた。

社交的な彼女とは正反対の私なので、連れ出された先でも馴染めない感じはあったけれど、彼女は決して私を一人にしたり、居心地悪いようにはせずちゃんとフォローしてくれた。
友達が多い彼女だったが、他の誰よりも二人で過ごす時間をとってくれた。
ちょっとでも私が、「そのアイシャドウ、かわいい、似合っている」と褒めれば、
「そう?嬉しい。じゃあこれあなたも使って。あげる」とすぐに私にくれるのだ。
スキンケアの方法も教えてもらったし、会えない日でも毎日毎日電話をくれて、ドライな日本人の友達と比べるとまさに「親友」ってこーいう関係を言うんだろうなという付き合いだった。

 

大学卒業後、私は就職して社会人になり、彼女は大学院へ進んだ。その頃から、生活スタイルの違いもあり次第に疎遠になっていった。

彼女が卒業し、オーストラリアへ帰ってしまってからも連絡は取れなかった。

当時は今ほど、ネットもEメールも普及していなかったから。

その後、Facebookなどで彼女を探し続けていたけれど見つけられず、
ようやくコンタクトできたのが6年前。
彼女の病気が発覚するほんのちょっと前のこと。

 

ようやく会えたのだから、また再会したかったし、オーストラリアにも行ってみたかった。

 

でも、

もう、

会うことはできないのかもしれない。

 

こうやって遠くにいながら私が願うこと。

 

どうかこれ以上苦しませないでください。
安らかに、幸せに人生の終焉を迎えさせてください。

 

普通は愛する人に長く生きてほしいと願うものだろうけど、
本人がものすごい苦しみの中にいるのに、「長く生かせて」とは到底思えない。
たとえ、本人が生きたいと言っても、そんなにがんばらせてはいけないとさえ思う。

こんな考え方をしてしまう私はおかしいのだろうか?

非道的な考えなのかもしれない。でも、苦しみの中生き続けさせることが幸せとは思えないからなのだ。


いや、もしかして私も、死を宣告された時、

「苦しくてもいい、死にたくない。最後まで頑張る」と思うのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

新しい年 2022年

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2022年にはいって既に1ヶ月。

中国の旧正月も迎えた。

2022年はどんな一年になることか。

楽しくもあり、少し不安もあり、

なんか人生はいつだってそんな感じだな。

 

ワクワクしても一寸先は闇。

 

それならば、不安なんか持たずに、

毎日楽しく、明るく、今を生きる方が良いな。

 

明日のことなんて誰にもわからないし、
ただその瞬間を一生懸命生きる方が良いな。

 

だから、先のことに悩まずに
目の前にあるものを大切に感謝しながらやっていこう。

 

そんなことを思った

2月の夜でした。

 

人生旅行

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最愛のペットとお別れをして、1年と5ヶ月が経った。

先日、あの子の誕生日だった。

あまりにあっけないお別れだったので、未だに名前を呼んでしまう時がある。

その度に、悲しいとか辛いなどの感情はないけれど、

出会えたこと、過ごせたことが本当に奇跡だったと感謝し、

そして、一緒に過ごした時間が懐かしくて幸せな気持ちになる。

 

そんな中ふと、昔の同僚のことを思い出した。

 

彼女は同じ部署で働く同い年の子。

情報通だった彼女は、後から入社した私に会社のいろいろな噂話を聞かせてくれた。

将来設計もしっかりしていて、お金に疎い私に

投資は若いうちからするべきだと

熱心に説明してくれた。

あの時、彼女のいうことを聞いて投資を始めていれば、今頃それなりの額になっていた気はする。

 

その後私は仕事を変え、彼女と連絡を取ることはなかったけれど、

風の便りで、再婚したこと、病気をしたことなどを知った。

一緒に働いていた20代の頃から、

「自分は癌家系だから必ず自分もなるので定期検診は欠かせない」と言っていた。

そのおかげか、30代で乳がんがみつかったけれど治療をして治ったようだった。

今は再婚してとても幸せみたいだよと聞いて一安心していたけれど、

どうやら数年前に亡くなったようだ。

病気なのか、事故なのか、理由は不明。

 

彼女のように将来を見越して、積極的に貯蓄をしたり、

健康管理をしっかりしていても、

結局運命には逆らえなかったのか。

 

「将来のため」

という見えない明日への保険という架空商品を無理やり作り出し、

人はその見えない何かに常に怯えて生きるように洗脳されている。

洗脳元はメディアだったり教育だったり、はたまた政府や誰も知らない世の中を牛耳っている何かによって。

 

アフリカのどこかの部族などは、

明日への不安を抱えながら暮らしているのだろうか?

それよりは今を生きることに必死なのではないだろうか?

愛犬だってそうだ。

未来に不安を持って生きていただろうか?

それより、今この瞬間置いてけぼりになることを嫌がり、

今この瞬間ごはんをもらえたり、飼い主になでられることに喜びを感じたり、

彼の中には過去も未来も存在しなく、

その瞬間をただただ生きていた。

 

自分ではどうすることもできない過去や未来にしばられる人生と

今を十分に生きる人生

 

どちらも人それぞれではあるけれど、

私は

今を必死で生きる人生を

選択したい派だ。

 

いつか必ず人は死ぬ。

それはこの世に生まれた時からすべての人に平等に与えられた運命だ。

病気をして延命治療を受け、長生きする人もいるでしょう。

でもそれすらも生まれた時に決められた人生だとしたら。

亡くなった彼女も、若い頃から自分の運命に従って、終わりのための計画をしていたようにも思える。

 

私は誰に教わったわけでもなく、子供の頃からずっと自称「運命論者」だった。

運命は決められているのでそれに逆らうことは絶対に出来ない

だから自分が信じること、感じたままに生きていけばいい。

周りの不確かな情報に惑わされず、自分の内から湧き出るものを信じていけばいいという考えだ。

 

命を授かった瞬間から人は死ぬ時までの人生旅行を開始する。

人生旅行の最後は人それぞれだけれど、運命で決められているとするならば、

その運命を全うしたと満足しながら眠りにつきたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

近所のビーチ

パンデミックになってから、

ほとんど外に出ておらず、

久々にビーチ沿いのレストランでランチしました。

大好物のカニを頂いてまいりましたよ。

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これまで食事といえばワインがもれなくついてきましたが、

この4ヶ月間一切お酒を飲んでおらず、

今回もお酒なしで楽しい美味しいランチを堪能できました。

 

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飲んでいた頃はそれなりに楽しかったけれど、

わざわざお酒を飲まなくてもそれ以上に楽しい時間が過ごせますね。

 

結論

お酒は百害あって一利なし

は正しい。